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ツタンカーメンえんどう豆
(ツタンカーメンえんどう豆ご飯)
先日、宮本さんからツタンカーメンえんどう豆を頂きました。ご飯に炊き込むと大変美味しいとの事で
挑戦してみました。Recipeも入っていて美味しく炊くことが出来ました。ツタンカーメンもこの豆を
食したのかなーと思うとロマンが湧いて来ます。ツタンカーメンについてもちょっと調べてみました。
2011年5月26日 : 撮 影:宮本 聰・東川征夫

ツタンカーメンの黄金のマスク
-No1.ツタンカーメンは、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)。即位した時点でまだ年端の
ゆかない少年であったことがわかっており、アメン信仰復活やその死について様々な推測が語られ、歴史のミステリーとされている。
2005年1月に、ミイラの調査が行われた。骨折にマラリアが重なって死亡した可能性が高いことが、エジプト考古学チームによるDNA
鑑定やコンピューター断層撮影装置(CT)の調査で分かった、と2010年2月、米医学誌が発表した。腐骨や内反足を患い、転倒して
足を骨折しマラリアが命取りになったという。また歩くのにつえをついていた虚弱な王だったとしている。
(ウィキペティアフリー百科事典より抜粋) |

ツタンカーメンえんどう豆の花 撮影:宮本 聰氏
-No2.王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は、1922年11月4日にイギリスのカーナヴォン卿の支援を受けた考古学者ハワード・カーター
により発見、発掘された。ツタンカーメンは王墓としてはきわめて珍しいことに3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けなかった。
王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土した。また、ツタンカーメンの墓からは
エンドウ豆も発見されている。三千年の年を経て発芽させる事が出来たとされるが、豆の種子がそれほどの長期間、生存することは
植物学上考えにくく、また、豆自体もエジプトで自生している野生種であり、「直系の種」と言われても判別はつかない。
死後の備えとして入れられた食物の中に穀物の入った壷があり、その中に豆類が混じっていた。
(ウィキペティアフリー百科事典より抜粋) |

-No.3 紫色の莢- 撮影:宮本 聰氏 |

-No.4 頂いたツタンカーメンえんどう豆- |

-No.5 袋の中に豆ご飯のRecipeが入っていた。- |

-No.6 ボールの反射で水中の豆のように見える- |

-No.7 豆は美しいグリーン- |

-No.8 莢は日が経つと紫が濃くなる。- |

-No.9 米・豆の上に濃い紫色の莢を並べる。- |

-No.10 炊き上がったツタンカーメンえんどう豆ご飯
ホクホクとしてとても美味しい。3000年の昔に思いを馳せる。- |
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