今月のTopicsとして、私の散策路にある
「富士塚」を紹介します。
富士山は日本人の心の中にある象徴的な存在ですが、平和が長く続いた江戸時代
江戸の町人たちは富士講(信心の団体)を組んで、富士登山が流行したようです。
その富士登山できないまでも近くに富士山に似た山「富士塚」を人工的に築いて
富士講の行事を行ったようです。
「富士塚」は、関東地方に300以上あるといわれています。多分、農民たちが中心
だったのではないかと推察します。私の住む横浜市都筑区にも、私の知る限り3か所
ありましたが今では2か所が遊歩道と広場を伴った公園として残っています。
一か所は小宅から遊歩道を歩いて10分程度のところにあり、もう一か所は川和町に
あります。近くにある「山田富士」と横浜市がそのそばに建てた説明板「川和富士」
の山頂から見た丹沢山塊とかすかに見える富士山の写真計3枚を添付します。
丹沢山塊の写真左側の山は大山(1251.7m)で、これも雨の神様として江戸の火消し
や農民の講(おおやま講)として有名です。
余談ですが、私も富士山が大好きで、60〜70歳代富士山が見える四十数か所の山
(一番高い山は富士山の次の北岳)に登って、富士山を仰ぎました。
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川和富士山頂からの「丹沢山塊と富士山」
左側の山が「大山 1251m」雨の神様
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